January 04, 2008

学習効果は我苦修考課


 学習効果。この言葉を聞いたことがない人は恐らくいないと思います。言うまでもなく、成功失敗を問わず過去の経験から得た知見を次の経験に活かすことです。当然ながら、個人でも組織でも学習効果を発揮できないようであれば、もはや発展の余地はありません。同じ失敗を繰り返すばかりになってしまいます。
 ところが、日本の古い組織というのは、学習効果がかなり欠如しているような気がしてなりません。それは、今回ばかりは特殊事情だったからと言い訳を探し、その場限りで終わらせてしまうこと。そして、うちの会社ではここまでしかできないんだよなあ、と内部の都合を優先するような思考パターンがあると思います。後者であれば、いずれ衰退していく組織になるでしょう。前者では、本当に特殊事情だったのか、特殊事情なりにベターな選択肢はなかったのか、改善努力の余地はなかったのか、しっかりとレビューすることが必要となるでしょう。
 商売を行っている以上、最終的には顧客の評価が全てであること。顧客から無理な要望が出されたならば、顧客が納得いく形で説明できるかということ。そこで納得されなければ、その顧客からはこれから仕事をもらうことができなくなるでしょう。それでいいかどうかは各組織の判断になりますが、勘違いしてはならないのは、内向きの理由で顧客を納得させることはできません。どうしても内向きの理由を言わざるを得ないならば、自社の限界や改善すべき点をしっかりと示し、信頼感を得ることだと思います。間違って社内事情でこうなってしまいました、そんな説明をしたならば、次の仕事は他社に行ってしまうでしょう。
 もっとも、価格競争では負けることがあるかもしれません。でも、しっかりとしたアウトプットを出していくことが可能であれば、かなりの部分で顧客も納得できるような気がしています。
 gayaの今まで経験から、顧客の評価を高めるためには、以下のような条件が必要でしょう。1.顧客オーダーをしっかり確認すること、2.顧客との間で事前にしっかり目的を共有すること、3.つには、なぜ失敗したのかについて学習効果を発揮し、次回に生かすことだと思います。
 でもなぁ、話が通じなかったり、まったく違う業界の感覚で対応されたりすると、疲れるんだよなぁ。疲れるということは、まだまだ学習効果が足りないということなんでしょうなぁ。

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Reset & Respect

 シンクタンカーで仕事ができる人とできない人の違いは何だろうか、と考えてみたとき、あくまでgayaが周りの人たちを見てきた限りで言えば、切り替えができる人ではないかと思います。とにかく仕事を引きずらない、引き延ばさない人、失敗してもめげずに次のことに取り掛かれる人(もっともこの場合は、きちんと謝罪することも必要でしょう)、プライベートの時間をしっかり確保する人、といったところでしょうか。
 調査・計画業務というのは、何らかの形でオリジナリティが必要です。仮に既存資料のレビューが中心であっても、その整理の仕方、組立て方に独自の発想ができてクライアントにしっかりと示すことができれば、「寄せ集めだろ」という批判をかなりの確率で受けずに済むような気がします。オリジナリティがあれば、すなわちそのシンクタンカーに仕事を依頼したい、という気持ちがクライアント側にも沸々と湧き起こってくるのではないかと思います。
 で、オリジナリティの源は発想力です。無論、単なる思い付きではなく、思いついたことを論理的に組立てることが必要ですけど、アイデアが枯渇すればおそらく満足な仕事はできなくなるでしょう。ロジカル・シンキングはある程度の訓練と経験によって得ることができますが、オリジナリティの源は、gayaは基本的に豊かな発想力であると思っています。さらにその源は、頭の中をリセットすることだと思います。これができない人は、シンクタンカーとしての進歩が失われていくと考えています。
 では、リセットするにはどうしたらいいだろうか。それは、自己管理です。仕事がかさんでくればそれを分散させ、頭の中が硬直化してくれば気分転換を行い、仕事のタイムコントロールとボリュームコントロールを他の人を不快にさせずにできること。このような自己管理能力があれば、発想力は生まれてくるのではないでしょうか。
 仕事と各々のプライベートとのバランスは、それこそ個々人のコントロールに依りますが、結果として仕事に振り回されてズッポシはまってしまうようになると、仕事自体がコントロールできなくなってきます。無論、入社して最初の2・3年は難しいかもしれませんが、常に心がけるべきことだと思います。
 もしかしたら、死ぬほど仕事をしてから言え、みたいな精神論を振りかざすおじさんたちもいるかもしれませんが、その結果彼らは今、力を発揮している人材になっているのか、respectableな仕事をしているのか、冷静に見極めなければなりません。ここで注意。respectは自分が他人に押し付けるものではありません。あくまでrespectする人(respectを受ける人ではありませんよ。)の問題であり、ここんとこを忘れられては元も子もなくなってしまう。自らへのrespectを他人に押し付けるような言動は、頑として拒否してもいいと思いますね。gayaだったら恥ずかしくてできません。ホント、resetしたくなる。
 でも、こんな人がいるんだよなぁ。人間の自己顕示欲、自慢欲は永遠に不滅なのかなぁ、などと考えていると国境をまたいでしまいそうなので、今日はこのくらいまで。では、また。

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天下り考2

 いやあ、短期、期間限定だから何とか思いつくままに書いているけど、これを毎日書くとなると、かなりのエネルギーを要しますね。というか、1日の殆どの場面で、ブログのネタになるかどうかを考えているような状態でしょう。毎日書いている人のエネルギーに感服します。決して皮肉な意味ではなく。
 で、以前に天下りのことを書きましたが、役所だけの批判をするつもりは毛頭なく、受け入れる民間の側にも当然問題はある。口先では批判するくせに、受け入れの意思決定をできる立場の民間人でも、横並び意識で天下りを受け入れていますよね。
 それから、民間同士の天下りもある。子会社への天下り、業界団体への天下り(天上り? 昇天?)、いろいろあります。もっとも、戦略的にその人材を必要とした異動もありますが、片道切符で天下るのであれば、ほぼ役所からの天下りと同じ位置づけでしょう。で、当のご本人は役人然りの態度でプロパースタッフの顰蹙を買ったりする。でも、太鼓持ちも現れてくるのがこの社会の不思議なところかな。
 翻って、シンクタンクは受け入れ先になることが多々ありまして、おそらくは他の組織への天下りと同様の光景が日々繰り返されているのでありまして、プロパースタッフはなるべく彼らと関わりを持たないように、さまざまな戦術を繰り出していくのです。
 gayaが不思議に思うのは、人間馬鹿ではないのだから、一部の超鈍感な人間を除いてそのような態度で接されれば不快感を持つのは自明の理。でも彼らは頑張るのです。めげないのです。無理してでも自分の存在感を誇示し、四面楚歌のなかでも決して引きこもりにはならないのです。
 ここで、業界事情に詳しくない方のために注釈をひとつ。役所でも民間でもマスコミがつくり出す天下りのイメージは、エラくなった人が退職後に天下ることのように謳われていますが、数の上からはおそらくそうではありません。組織というのはおおむねピラミッド状であり、上に行くほどポストが少なくなります。そのため、本来であれば上に行く人々をふるいに掛けなければならないのですが、日本の社会はふるいからこぼれ落ちた人々の受け皿として天下りというものをつくったのです。よって、エラくなれなかった人々が天下って、ちょっと大きな顔をできる優越感を覚えられるよう、そこそこのポストを用意して天下りを受け入れるのです。
 あー、書いていて気が滅入ってくる。gayaは天下った先での冷たい視線には耐えられないだろうなぁ。まだ、仕事をもっとしろという上司のぼやきに、ほどほどに付き合っている方が楽なのだと思う。さて、自分がふるいに掛けられたらどうなるだろうか。gayaの会社では、おそらくヒラのまま、同期の者が上司になったりする気がする。それまでに会社は残っているでしょうか。あるいは他の職種に転向しているかもね。


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